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Saito Dosan - A painting of a man sitting on a rock

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日本語: 斎藤道三
さいとうどうさん
(?―1556)
戦国大名。初め長井規秀(のりひで)、のち斎藤利政(としまさ)、晩年入道して道三と号す。北条早雲(そううん)などとともに戦国の梟雄(きょうゆう)といわれ、典型的な下剋上(げこくじょう)の体現者とされる。俗説によれば、山城(やましろ)(京都府)西ヶ岡の松波基宗(まつなみもとむね)の子で、日蓮(にちれん)宗京都妙覚(みょうかく)寺の学僧であったが、還俗(げんぞく)して油商奈良屋に入婿(いりむこ)、山崎屋庄五郎と改名してたびたび美濃(みの)(岐阜県)へ行商にくるうち、学僧時代の同僚で長井長弘の弟常在寺日護(じょうざいじにちご)の推挙で長弘に仕官、西村氏の名跡を継いで西村勘九郎と名のった。やがて、兄政頼(まさより)との守護職相続争いに敗れて失意の土岐頼芸(ときよりのり)に近づき、政頼を追って頼芸を守護とし、さらに長弘を暗殺、長井氏の名跡、ついで守護代斎藤氏の名跡をも冒し、1542年(天文11)には頼芸までも追放して自ら美濃の国主となったと伝える。
 この俗説には混同があり、その前半部分は道三の父の事績で、道三の国盗(くにと)りの過程は、実際には道三とその父の2代にわたったことが明らかにされている。妙覚寺学僧で還俗して西村を称したのは実は道三の父新左衛門尉(しんざえもんのじょう)であり、新左衛門尉は守護土岐氏の有力家臣長井氏に出仕してしだいに台頭、長井氏を称し長井氏惣領(そうりょう)と並ぶ実力者に成長する。新左衛門尉は1533年(天文2)死去するが、その子長井規秀(道三)の確実な初見も33年で、同年もしくは34年、道三は長井氏惣領を討ち、35~36年、時の守護土岐二郎(実名未詳)を追放して頼芸を守護とする。37年ごろ守護代斎藤氏の名跡を継いだらしく、斎藤利政と名のり美濃の実権を握ると、やがて52年頼芸をも追放するが、子の義龍(よしたつ)と不和になり、56年(弘治2)4月長良(ながら)川畔に戦って敗死した。織田信長、飛騨(ひだ)の三木自綱(よりつな)はその女婿。
[谷口研語]
『『岐阜市史 通史編 原始・古代・中世』(1980・岐阜市)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) / 日本大百科全書(ニッポニカ)について

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